大判例

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仙台高等裁判所 昭和32年(う)357号 判決

控訴人 検察官

被告人 山崎強二 外一名

弁護人 南出一雄 外一名

検察官 吉安茂雄 木戸芳男

主文

被告人山崎同佐々木に関する各原判決を破棄する。

被告人山崎同佐々木を各懲役一〇月に処する。

ただし、被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間、いずれも右刑の執行を猶予する。

被告人佐々木から金七五、〇〇〇円を追徴する。

被告人山崎の事件に関する原審訴訟費用の全部及び当審証人佐々木弥助、当審国選弁護人南出一雄に支給した分は被告人山崎の負担とし、被告人佐々木の事件に関する原審訴訟費用の全部及び当審証人山崎強二に支給した分は被告人佐々木の負担とし、当審証人佐々木憲司同土岐泰寛同佐藤恒夫に支給した分は被告人両名の負担とする。

理由

検察官吉安茂雄の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の名盛岡地方検察庁一関支部検察官事務取扱検事佐藤鶴松名義の控訴趣意書の記載と同じであり、これに対し被告人山崎の弁護人南出一雄、被告人佐々木の弁護人吉田政之助の陳述した答弁は同じく各同弁護人名義の答弁書の記載と同じであるから、いずれもこれを引用する。

被告人山崎に関する控訴趣意について。

原判決は、被告人山崎に対する公訴事実中、被告人山崎は矢作村の役場庁舎の新改築、分教場の増築、診療所の新築等の工事を請負つたが、同工事に関し矢作村村長として工事請負人の銓衡指定、請負契約の締結、工事の監督、出来高証明の承認、工事代金支出の決裁、及び工事に使用する村有林の特売等右各工事施行に関する事務全般を処理していた被告人佐々木に対し、昭和二八年八月一六日頃同役場旧庁舎宿直室で、お盆につき工事請負代金内金を早く且つ多額に支払われたい旨依頼し、その報酬として二万円、同年九月二二日頃同役場構内石造倉庫裏で、診療所工事の特命請負人に指定したことに対する謝礼及びその建築資材として同村村有林の特売につき便宜な取扱をされたい旨依頼しその報酬を含めて二万五千円、同年一一月一七日頃前記宿直室で、右村有林の特売をうけたこと及びこれまで右各工事につき便宜な取扱をうけたことに対する謝礼として三万円を各供与し、もつて被告人佐々木の職務に関し贈賄したとの事実につき、無罪の言渡しをしている。その理由とするところは、右事実につき被告人山崎は頭初から自白しているが、被告人佐々木は極力否認するところで、その補強証拠として山崎コト、菊地新次郎、佐々木憲司の各検察官に対する供述調書等があるが、山崎コト以外のものは山崎の発言を内容とするもので、山崎コトの供述を加えても到底補強証拠を具備する自白とは認められず、他に補強証拠の実をみたす証拠なく、結局犯罪の証明がないことに帰するというにある。

ところで、自白を補強すべき証拠は必ずしも自白にかかる犯罪構成事実の全部にわたつてもれなくこれを裏付けするものでなければならぬことはなく、自白にかかる事実の真実性を保障し得るものであれば足りるのであり、かつそれは情況証拠で差支なく、また自白と補強証拠と相まつて全体として犯罪事実を認定し得られれば十分であつて、被告人の自白した犯罪事実が架空のものではなく、現実に行われたものであることを証するものであれば足りるのである。

本件において、被告人山崎は捜査から公判を通じて終始一貫して公訴事実のとおり被告人佐々木に贈賄したことを自白しており、その捜査から原審公判更には当審公判終結に至るまでの長い過程において、その供述内容に矛盾するところなく、虚偽の事実を無理に作為して述べていることを疑わしめるものは存しない。そして、その自白に対する補強証拠としては、本件授受金員が賄賂であることにつき、被告人山崎や代理人荒川久次郎等が被告人佐々木に対し役場庁舎新築工事請負代金内金の早期且つ多額の支払方を何回も頼み、本件お盆の下金も被告人山崎が同様頼み込んだ事実、被告人佐々木が被告人山崎に対し工事監督者の忠告を受けながら敢て出来高証明なしに役場庁舎新築工事請負代金下金を前後数回に亘り支払い、本件お盆の下金も早期かつ多額に計百五十万円支払つた事実、被告人山崎は被告人佐々木に対し本件診療所工事の特命請負及び村有林の特売を頼みこんだ事実、被告人佐々木は診療所工事を被告人山崎に請負わせることが無理であると知りながら敢てこれを被告人山崎に対し特命で請負わせ、又被告人山崎に対し安い単価で村有林の特売をなした事実、右特命請負が村議会で問題となり、被告人佐々木は右請負契約の解約を論議させる協議会を招集しながら、自らはその間出張留守にして被告人山崎を旅館に招き村議会の空気を教えて工事の促進をはかつた事実、被告人山崎側の工事関係者の間に当時贈賄しなければ仕事にならないという空気が満ちていて、被告人山崎は部下に対し川村周三、村上行男の両有力議員に適当にやつておけと言つていた事実、被告人佐々木が村長として工事請負人の銓衡指定、請負契約の締結、工事の監督、出来高証明の承認、工事代金支出の決裁、及び工事に使用する村有林の特売等右各工事施行に関する事務全般を処理していた事実、以上の各事実をそれぞれ証明する証拠があり、本件金員の授受につき、右金員の出所は当時被告人山崎が松尾鉱業所工事及び松尾村診療所工事を請負つていて、その各工事代金が支払われこれを人夫賃、建築資材等に支払つた残りを妻コトに預けておき、本件各矢作村に赴く時妻から貰つて行つたものである事実、本件各金員授受の日時及び場所で被告人山崎が被告人佐々木に会つていた事実、被告人佐々木が昭和二八年一一月頃から翌年五月頃にかけ屋根替え及び台所改造工事を行つた事実、以上の各事実を証する証拠が存するのである。右に徴すれば、被告人山崎の自白にかかる犯罪事実の真実性を保障するに足る補強証拠があるものと認められる。

そこで、右補強証拠の内容を概観するに

(一)  本件授受金員が賄賂であることにつき

(1)  被告人山崎や代理人荒川久次郎等が被告人佐々木に対し役場庁舎新築工事請負代金下金の早期且つ多額の支払方を何回も頼み、本件お盆の下金も被告人山崎が同様頼みこんだ事実

被告人山崎の自白は、「工事下金の早期支払をうけるについては、六月一〇日頃(昭和二八年)私と荒川久次郎と村上英之の三人で村長の自宅にお願いに行き、その後荒川が何度も村長にお願いしたが、私が直接再びお願いに行つたのはお盆の時で(四五三丁裏)、八月一六日頃で旧七月の山車の出た翌日役場旧庁舎に村長を訪ね、宿直室へ行き、誰もいないところで、『いつもお世話になつているが、お盆でもあるし、出来高の百パーセント見て貰いたい』と頼むと、村長は『俺も心得ている』と言つたので、これを機会に『お孫さんにやつてくれ』と言つて、二万円の裸の札束を村長の上衣の横ポケツトに押しこんでやつた(四二五丁裏乃至四二七丁裏)」というのである。

これに対し、村上英之の検察官に対する供述調書に、「右の如く三人で村長宅へ下金のことで頼みに行き、その外荒川や山崎が何度も役場に村長を訪ねて頼んだ」旨(二九八丁ノ一)、小林良治(助役)の検察官に対する供述調書に「八月一五日上棟式があり、その頃お盆で、人夫賃の支払を責められて困つているからなんとか出してくれと、山崎自身も私と机を並べている村長のところへお願いに来たのを知つており、お盆の下金で二、三回来たと覚えている」旨(二六三丁表裏)の供述記載がある。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書謄本で、山崎から工事下金につき再三懇願があつたことを認めている(五一七丁表乃至五一八丁表)。

(2)  被告人佐々木が被告人山崎に対し工事監督者の忠告を受けながら敢て出来高証明なしに役場庁舎新築工事請負代金下金を前後数回に亘り支払い、本件お盆の下金も早期かつ多額に計百五十万円支払つた事実

被告人山崎の自白は「八月二〇日工事下金三〇万円出たとの知らせを聞いて矢作村へ赴き、人夫賃等経費を支払い、翌二一日役場へ行つて村長から更に下金五〇万円(一五〇万円だが、立替金や山代金を差引かれた手取金)を受取つてお盆の会計一切をすませたが、工事進捗の状況は三割程度で、その前に二回に一〇〇万円の下金を貰つており、合わせて一八〇万円の下金は出来高の百パーセントを上廻つていることは確かで、いかに贈つた二万円が役立つたかわかる(四二八丁表裏、四二九丁表、四四七丁表)」というのである。

これに対し、高橋勇喜(収入役)の検察官に対する供述調書(二六六丁裏、二六七丁表)及び請求受領証綴(証九号)によれば、昭和二八年六月一五日六〇万円、同年七月一日六〇万円、八月三日六〇万円、八月一九日三〇万円、八月二一日一五〇万円、九月一四日二万六〇〇〇円、九月二二日一三三万二六八九円、一一月二日二〇万八四二七円、一二月二九日二八万二八八四円、計九回合計五四〇万円のうち、八月三日、一九日、二一日の三回計二二〇万円は一応の出来高証明があるが、他の六回計三二〇万円は出来高証明なしで支払つた事実が明瞭である。しかも、工事監督者であつた出羽善徳から佐々木村長宛の手紙(証六号)によれば、七月三日附で村長に対し、工事下金を絶対過払いしないようした方がよい旨忠告がなされているのである。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書謄本で、右事実を大体自認しており、契約よりも早期にしかも出来高の八割以上も支払つてやる必要はなかつたが、山崎に余り懇願されたので支払つたと述べ、山崎の場合かかる前払いすることは危険だと忠告されたことも認めているのである(五三〇丁表乃至五三三丁表、五四二丁裏、五四三丁表)。

(3)  被告人山崎が被告人佐々木に対し本件診療所工事の特命請負及び村有林特売を頼みこんだ事実

被告人山崎の自白は「診療所の特命請負についても、九月一〇日頃川村議員を訪ねて同人から一応村長が提案者になるのだから渡りをつけておけといわれたので、村長のところへ行つてお願いすると、村長は一応難願書を出してくれれば合法的にうまくゆくという話で、その時村長が君の考えようで俺だつてどうにもなるのだと暗にほのめかしたのであり(四六一丁裏乃至四六二丁裏)、九月一九日か二〇日頃の村議会で診療所工事の特命請負が自分にきまつたので、特に診療所建築資材として村有林の払下げを受けたいと考え、九月二二日頃役場庁舎工事現場を私と村長で視察していた時、診療所工事の請負を特命にして貰つたお礼を述べ、その建築資材として村有林を払下げて貰いたいと願つたところ、村長は難願書を出してみたらよかろうと言つてくれ、その時石造倉庫の裏の誰もいない所へ誘つて、二万五〇〇〇円の札束を村長の上衣のポケツトに押しこんでやると、村長はいやあと言つて受取つてくれた(四三〇丁裏乃至四三二丁表)」というのである。

これに対し、昭和二八年度村会議事録(証八号)によれば、九月一九日開かれた一六回臨時村議会議事録に、議長から山崎より診療所工事の特命請負に関する請願書が出ている旨、川村議員から右請願につき特命請負が適当である旨及び特命請負が議決された旨、一〇月一九日開催の一八回臨時村議会議事録に、佐々木村長から村有林特売につき山崎請負人よりの要請もあつて云々の発言、及び特売が議決された旨の各記載がある。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書謄本で、山崎を九月二〇日頃診療所工事の特命請負人にしたが、それは同人から執拗な懇願があつたため断りきれず、自分から村議会に提案して議決して貰い(五一八丁表)、村有林の払下も山崎の方から要求されて払下げることにした(五一八丁裏)と述べている。

(4)  被告人佐々木が診療所工事を山崎に請負わせることが無理であると知りながら敢てこれを被告人山崎に対し特命で請負わせ、又村有林を被告人山崎に対し安い単価で特売した事実

被告人の自白は前記自白及び「村長に前記二万五〇〇〇円を贈つた結果一〇月中旬頃の村議会で村有林の払下が議決され、しかも予定の五百石以上に三百石も多く八百石近く払下になつたが、診療所の木材もタツプリ払下をうけたほかすべて自分の思うとおり行つたので、それについて村長に今まで便宜をはかつてくれたお礼をしなければならないし、将来の工事下金についても便宜な取扱をうけたい気持もあつて、一一月一七日頃前記役場旧庁舎宿直室で村長に対し世間話やお札を言つたあとで、村長が診療所の特命請負や村有林の特売で村会の反対派から色々文句を言われて困つたというような話をはじめた機会に『えらい目に遭つて大変でしよう、なにもないから』と言つて、用意の三万円の裸の札束を村長の前に差出すと、いやあそんなことをしていいのかと言つたが、別に断りもせず、手を出して受取つた(四三二丁裏乃至四三四丁裏)」というのである。

これに対し、前記出羽善徳の佐々木村長宛手紙(証六号)には「組の内容は悪く、特に金銭的には資力もないし頼りにならないよう話されている」旨の記載があり、小林良治(助役)の検察事務官に対する供述調書に「山崎は前述のような業者なので、診療所工事にはとても駄目だと私は考えていたが、三日ばかり出張して帰ると、村長が診療所工事を山崎に特命で請負わしており意外に思つた次第で、山崎から村長と議長宛に請願書が出されてあつた」旨(二五六丁裏、二五七丁表)、藤倉久兵衛(議長)の検察事務官に対する供述調書に「山崎は資本のない者で本来ならば診療所工事を引続き山崎に請負わせられない事情にあつた」旨(二三三丁表)の供述記載がある。被告人佐々木自身も、検察官に対する供述調書謄本によれば、山崎は余りよい業者ではないと判つていたが、余り山崎に懇願されたので、診療所工事の特命請負人にすることに決心して、歎願書を村議会に提出するよう話し、自分から村議会に提案して議決して貰つたものであること(五一七丁裏、五二九丁裏)を認めており、特命請負というのは随意契約のことで、それは村長の一存で請負人をきめ村議会の承認を得て契約するもので(五二七丁表)、請負人の信用と技術を第一に考えねばならないが、山崎に資力がなく信用のないことが既に判つていたのに、役場庁舎の工事で損をしたからその埋合わせをさせてくれという山崎の懇願に乗つたのが悪かつた旨(五四二丁表乃至五四三丁表)認めているのである。そして、前記村議会議事録(証八号)によれば、一〇月一九日開催の一八回臨時村会議事録に、杉立木約四三〇石、松立木約五〇〇石を特売、価格石当り二千円で可決された旨の記載があり、藤倉久兵衛(議長)の検察事務官に対する供述調書に「村有林の特売は村長の提案で議会で議決したが、これに対し村民から公売にすべきであつて特売にすべきでないという非難はあつた」旨(二三四丁裏)、高橋勇喜(収入役)の検察事務官に対する供述調書に、「村有林払下の単価がむやみに安いので変に思い、村長に対しこんな安い単価で大丈夫かときくと、議会で議決したことだと言つたが、自分は余りにも安い単価だと不審に思つた」旨(二六八丁表裏)の供述記載がある。

(5)  右特命請負が村議会で問題となり、被告人佐々木は右請負契約の解約を論議させる協議会を招集しながら、自らはその間出張留守にして被告人山崎を旅館に招き村議会の空気を教えて工事の促進をはかつた事実

被告人山崎の自白は「一二月六日私は盛岡の照又旅館に呼出されて、村長と川村、村上両議員のいる所で、村長から『役場や診療所の工事をはやくやつて貰いたい、診療所の方は議員達が解約するとかなんとか騒いでいるから、八日が村会だからよく話してこい』といわれたが、あとで判つたところによると、村長はその時助役等に対しては山崎を解約したい意向だと言つていた由で、いかに村長が立廻りの上手な人であるかに驚いた(四四二丁表裏、四五一丁表裏)」というのである。

これに対し、村上行男の検察官に対する供述調書には、「議会でもあんな者を診療所に請負わせたのは間違いだと騒ぎ出す事件があり、村会の協議会で今後は下金の支出を厳重にして村が工事の全部にタツチしてやらせることにした」旨(二四八丁表)、川村周三の検察官に対する供述調書に、「一二月初頃村長や私が山崎を盛岡の照又旅館に呼んで工事の能率をあげるよう責めたことがあり、そこで解約のことまで話したような記憶はない」旨(二四二丁表)、小林良治の検察官に対する供述調書に「一二月八日診療所工事解約の協議会については同月四日頃招集状を出した記憶があり、村長も出席する筈であつたが、急に青森への出張で出席せずに、協議事項を書いて置いて行き、診療所工事を解約するよう協議会を導いて貰いたいと言つており、それは監査委員から役場庁舎や診療所の工事を急ぐよう言われていたためである」旨(二六四丁表裏)、藤倉久兵衛の検察官に対する供述調書に「一二月八日村会協議会で山崎の診療所工事の請負解約が協議された時、村長が何のためか出張不在で、考えようによつては村長が逃出したともみられ、村長が本当に解約の肚であつたか疑わしいとも考えられ、その際山崎と荒川が特に議会で呼んだわけでもないのに、何処から聞いて来たか協議会に顔を出した」旨(二三八丁表裏)の各供述記載がある。

(6)  被告人山崎側の工事関係者の間に当時贈賄しなければ仕事にならないという空気が満ちていて、被告人山崎は部下に対し川村、村上両有力議員に適当にやつておけと言つていた事実

被告人山崎の自白は「村上英之からここの村会議員や村長には何か贈らなければ工事の下金等も仲々出してくれないと言われたので、英之に適当にやつておいてくれと頼み(四二四丁表裏)、私も川村議員が農耕機が欲しいというので金を贈る約束をし(四三〇丁表)、山林の検収に当つた役場山林係熊谷に一万円贈り(四三三丁表)、川村、村上議員に現金を贈つたということは帳簿類をあとからみて判つたものである(四三九丁表裏)」というのである。

これに対し、村上英之の検察官に対する供述調書に「私は山崎に川村は面倒な男だといい、村長は事務屋上りのしつかりした人だと言つたが、山崎をはじめ荒川や瀬田等幹部の間に贈賄しなければ仕事にならないといつた空気が満ちていたことは確かである」旨(二九八丁表裏)、瀬田金三郎の検察官に対する供述調書に「川村、村上両議員に金でも贈らなければならんという話は英之から言出して話合つており、山崎は適当にやつておけと言つていたと思う」旨(二九四丁表裏)の各供述記載がある。

(7)  被告人佐々木が矢作村村長として工事請負人の銓衡指定、請負契約の締結、工事の監督、出来高証明の承認、工事代金支出の決裁、及び工事に使用する村有林の特売等右各工事施行に関する事務全般を処理していた事実については、被告人山崎の検察官に対する供述調書に同趣旨の供述記載(四四九丁裏、四五〇丁表)があるに対し、被告人佐々木の検察官に対する供述調書謄本にこれに照応する供述記載(五二五丁裏乃至五二七丁裏)がある。

(二)  本件金員の授受につき

(1)  金員の出所は当時被告人山崎が松尾鉱業所工事及び松尾村診療所工事を請負つていて、その工事代金が支払われこれを人夫賃、建築資材等に支払つた残りを妻コトに預けておき、本件各矢作村に赴く時妻から貰つて行つたものである事実

被告人山崎の自白は「本件の金は松尾鉱山から請負つている仕事の収入から人夫賃や資材費に支払つた残りが四万、五万と入つたものを妻コトに渡しておき、矢作村へ行く時妻から貰つて行つたもので、一回目に贈つた時は三万円位持つて行き、二回目も三万円位で、三回目だけは当時松尾村診療所の二度目の工事下金三〇万円のうち支払つた残りを妻に預けておいた中から三万七、八千円持つて行つたもので(四三五丁表裏)、二回目の九月二二日頃のものはその頃松尾鉱山から四、五十万の金が下つていたので、その中から三万位を妻から出して貰い、三回目のものは松尾村診療所の工事下金三〇万を貰つた直後、一一月一五日に経費を支払つた残金のうち三万七、八千円を持つて行つた(四四七丁裏、四四八丁裏)」というのである。

これに対し、松尾鉱業株式会社松尾鉱業所の報告書(三一三丁、三一四丁)中に、昭和二八年七月中に四五万六〇〇円八月一五日に三八万円、八月二二日に一四万二五〇〇円、九月一四日に四一万二〇〇〇円、一〇月二八日に八万一一七五円の各工事金が山崎に支払われている旨の記載があり、松尾村役場収入役高橋春夫の司法巡査に対する供述調書に「松尾村診療所の工事費の支払につき、その二回目は三〇万円を昭和二八年一〇月三〇日に山崎に支払つた」旨(三一六丁表裏)の供述記載がある。被告人山崎の妻山崎コトの検察官に対する供述調書に「主人は矢作に行くとき私から少いときで一万円位から多いときは三万円から五万円持つて行つたことがあり、同年(昭和二八年)八月半頃お盆の前頃も矢作の現場へ行く時三万円位持つて行き、一週間位滞在していたようで、同年九月半頃も矢作へ行き半月も滞在したが、鉱山にはもう蚊がいないのに、矢作は蚊が多くて困つたという話をしたのを思出したが、その時は幾ら持つて行つたか覚えていない、同年一〇月頃松尾診療所の二回目の工事下金三〇万円が下り、そのうち人夫賃に一〇万円位払つた残りを家に置いたが、一一月半頃主人がその金の中から矢作に行く費用として三万円か四万円位持つて行つたことが確かにあつた」旨(三二〇丁表乃至三二一丁裏)の供述記載がある。

(2)  本件金員授受の各日時場所で被告人山崎が被告人佐々木に会つていた事実

被告人の自白は前記(一)の(1) (3) (4) に記載したとおりである。

これに対し、村上恭三郎の検察事務官に対する供述調書中に「役場旧庁舎の宿直室は応接室に使用し、そこで村長と山崎が話合つたりしたが、八月一六日頃、一一月一七日頃山崎が役場へ来た時村長と右宿直室で話合つたかどうか判然した記憶はない」旨(三四八丁裏、三四九丁表)、伊東喜一の検察事務官に対する供述調書中に「八月一六日宿直勤務に服したが、同日は上棟式のあつた翌日で山崎が役場に来ていた、村長は午前中役場へ来て現場を見廻るなどして、正午バスで高田町へ行つた、当日村長と山崎が宿直室に二人で入つていたことがあるかどうかは大分前のことなので記憶しない」旨(三四四丁裏乃至三四六丁表)、佐藤賢祐の検察事務官に対する供述調書中に「九月二二日と一一月一七日宿直勤務に服したが、九月二二日山崎と村長が現場を見廻つたことは知つているが、石造倉庫の方に行つたかどうかまでは判らない(三四三丁裏)、一一月一七日山崎が役場に来た時村長が役場に在庁しているが、その日二人が宿直室で話合つたことは判らない(三四三丁表)」旨、の各供述記載がある。被告人佐々木の検察官に対する供述調書謄本中に「八月一六日の朝役場で山崎と会つたことにつき宿直員が二人で会つていたというのであればそのとおり間違いないと思う(四三七丁裏)、九月二二日の朝には山崎が役場に来て自分に特命請負のお礼を述べたことは覚えているが、その日二人で現場を見廻つた記憶はないけれども、その他の日は時々現場を見廻つていた(四三八丁表裏)、一一月一七日役場で事務を執つたことは間違いない(四三八丁裏、四三九丁表)」旨の供述記載がある。

(8)  被告人佐々木が昭和二八年一一月頃から翌年五月頃にかけて屋根替え及び台所改造工事を行つた事実については、被告人佐々木の検察官に対する供述調書謄本(五二三丁裏乃至五二四丁表、五四六丁表乃至五四七丁表)にその旨の供述記載がある。

以上に徴すれば、右各補強証拠は少くとも、自白と相まつて全体として犯罪事実を肯認するに十分であつて、被告人山崎の自白にかかる犯罪事実の真実性を保障し得るものと認められる。

されば、補強証拠の実をみたす証拠がなく、犯罪の証明がないことに帰するとして、佐々木弥助に対する贈賄の公訴事実につき無罪の言渡をした原判決は、採証の法則を誤り、ひいて事実を誤認したものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。そして、右公訴事実と有罪部分の原判示事実とは併合罪として起訴されたものであるから、原判決は全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

被告人佐々木に関する控訴趣意について。

原判決は、矢作村村長として役場庁舎に新改築、分教場の増築、診療所の新築の各工事に関し、工人請負人の銓衡指定、請負契約の締結、工事の監督、出来高証明の承認、工事代金支出の決裁及び工事に使用する村有林の特売等右工事施行に関する事務全般を処理していた被告人佐々木が、右工事を請負つた土建業山崎強二から、昭和二八年八月一六日頃役場旧庁舎宿直室で、お盆につき工事代金下金を早く且つ多額に支払われたい旨依頼を受け、その報酬たることの情を諒して二万円、同年九月二二日頃役場構内石造倉庫裏で、診療所工事の特命請負人に指定したことに対する謝礼及びその建築資材として村有林の特売につき便宜をはかられたい旨依頼をうけ、その報酬を含めたことの情を諒して二万五千円、同年一一月一七日頃前記宿直室で、右村有林の特売をうけたこと及びこれまで右各工事につき便宜な取扱をうけたことに対する謝礼たることの情を諒して三万円の各供与をうけ、もつて自己の職務に関し収賄したとの公訴事実につき、これを確認するに足る証拠なく、犯罪の証明がないとして無罪の言渡をしている。その理由とするところは、本件は被告人佐々木の極力否認するところで、贈賄したという原審証人山崎強二の証言と原審証人菊地新次郎同佐々木憲司同村上富雄の三人の証言を総合すれば、被告人佐々木の犯行たるに疑なき観があるが、後の三証人の証言は山崎の発言を内容とするもので、結局本件は山崎の証言の真否如何により決せられるところ、取調べた各証拠によれば被告人佐々木は性几帳面で、右工事監督は非常に厳格であつたこと、山崎との工事請負契約を解約しようとし、解約に至らなかつたが、診療所新築工事は実質上村の直営で完成したこと、これに対し山崎が非常に不満を持つていたことが認められ、これらの点に山崎の証言を照合すると、山崎の証言は一切信用に価しないのみでなく、却つて村長たる被告人佐々木に対する反感の余り山崎が菊地新次郎に対する貸借金債務不履行の申訳の必要下に強いて無根の事実を流布したに過ぎないものとさえ認められるというにある。

しかし、記録を精査し、当審における事実取調の結果に徴するに、当裁判所はたやすく原判決の如き結論には到達し難いのであつて、原判決は証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものといわざるを得ない。以下その説明をする。

(一)  本件犯罪の成否が山崎強二の証言の真否如何にかかつていることは原判決のいうとおりであるが、山崎の証言はその内容に矛盾不自然なところなく、虚偽の事実を無理に作為して述べていると疑わせるものは見出せないのである。そして、山崎の証言を裏付けるものとして、山崎やその代理人荒川久次郎等が被告人佐々木に対し役場庁舎新築工事請負代金下金の早期かつ多額の支払方を何回も頼み、本件お盆の下金も山崎が同様頼みこんだ事実、被告人佐々木が山崎に対し工事監督者の忠告をうけながら敢て出来高証明なしに役場庁舎工事請負代金下金を前後数回に亘り支払い、本件お盆の下金も早期かつ多額に計百五十万円支払つた事実、山崎は被告人佐々に対し本件診療所工事の特命請負及び村有林の特売を頼みこんだ事実、被告人佐々木は診療所工事を山崎に請負わせることが無理であると知りながら敢てこれを山崎に対し特命で請負わせた事実、右特命請負の問題につき被告人佐々木は右請負契約の解約を論議させる協議会を招集しながら、自らはその間出張留守にして山崎を旅館に招き村議会の空気を教えて工事の促進をはかつた事実、山崎側工事関係者の間に当時贈賄しなければ仕事にならないという空気が満ちていて、山崎は部下に対し川村、村上の両有力議員に適当にやつておけと言つていた事実、本件各金員授受の日時場所で山崎が被告人佐々木に会つていた事実等につき、山崎の証言の真実性を担保するに足る証拠が存するのである。更に、当裁判所が親しく山崎強二及び被告人佐々木を取調べた結果に徴しても、山崎の証言の真実性を否定すべき心証は惹起し得ないのである。

成程、山崎が診療所工事を村の準直営の形にされたこと及び村有林特売契約を解約されたことから、被告人佐々木に対し不平不満を抱くに至つたことは事実であるが、両者の従来の関係等からみて、被告人佐々木を無実の罪に陥れねばならぬほどの事情にあつたものとは到底認め難いのであつて、山崎が被告人佐々木に対する反感の余り菊地新次郎に対する借金債務不履行の申訳の必要下に強いて無根の事実を述べたものとは認め得られない。

(二)  そこで、山崎の証言を裏付ける証拠を概観するに

(1)  山崎やその代理人荒川久次郎等が被告人佐々木に対し役場庁舎新築工事請負代金下金の早期かつ多額の支払方を何回も頼み、本件お盆の下金も山崎が同様頼みこんだ事実

右については、原審証人小林良治(助役)同瀬田金三郎の各証言及び村上英之、瀬田金三郎の各検察官に対する供述調書によれば、昭和二八年六月一二日山崎が村上英之、瀬田金三郎、荒川久次郎と被告人佐々木村長宅に行つて、工事下金をなんとか早く出して貰いたいと頼み、そのほかにも山崎と荒川が役場に村長を訪ねて同様願い、又山崎がお盆使いだから下金してくれと頼みこんだことが認められる(六四丁表乃至六六丁裏、一〇八丁表、一〇九丁裏、三六九丁裏、三八四丁裏)。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書で、工事下金につき山崎から再三の懇願が盛んにあつたことを認めている(四一三丁裏、四一四丁表)。

(2)  被告人佐々木が山崎に対し工事監督の忠告をうけながら敢て出来高証明なしに役場庁舎工事請負代金下金を前後数回に亘り支払い、本件お盆の下金も早期かつ多額に百五十万円支払つた事実

右については、原審証人小林良治の証言(六八丁裏乃至七〇丁表)及び請求受領書綴(証六号)によれば、昭和二八年六月一五日六〇万円、同年七月一日六〇万円、八月三日六〇万円、八月一九日三〇万円、八月二一日一五〇万円、九月一四日二万六〇〇〇円、九月二二日一三三万二六八九円、一一月二日二〇万八四二七円、一二月二九日二八万二八八四円、計九回合計五四〇万円のうち、八月三日、一九日、二一日の三回計二二〇万円は一応の出来高証明があるが、他の六回計三二〇万円は出来高証明なしに支払つた事実が明らかであり、しかも、工事監督者出羽善徳より佐々木村長宛の手紙(証一号)によれば、七月三日附で村長に対し、工事下金を絶対過払いしないようした方がよい旨忠告がなされていることが認められる。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書で、右事実を大体認めており、契約よりも早期にしかも出来高の八割以上も支払つてやる必要はなかつたが、山崎に余り懇願されて支払つた旨述べ、山崎の場合かかる前払いすることは危険だと忠告されたことも認めている(四三三丁表乃至四三七丁表、四四六丁表裏、四四七丁表)

(3)  山崎は被告人佐々木に対し本件診療所工事の特命請負及び村有林の特売を願みこんだ事実

右については、昭和二八年度村会会議録(証五号)によれば、九月一九日開催の一六回臨時村会会議録に、山崎から診療所工事の特命請負に関する請願書が出ている旨、一〇月一九日開催の一八回臨時村会会議録に、佐々木村長から村有林特売につき山崎請負人よりの要請があつた云々の発言の記載がある。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書で、診療所工事の特命請負も山崎から余り懇願され(四一五丁表)、村有林の払下も山崎から要求されて(四一五丁裏)、いずれもこれに応じたことを認めている。

(4)  被告人佐々木が診療所工事を山崎に請負わせることが無理であることを知りながら敢てこれを山崎に対し特命で請負わせ、又村有林約九三〇石を単価石当り二千円で山崎に対し特売した事実

右については、前記出羽善徳の佐々木村長宛手紙(証一号)で、被告人佐々木に対し山崎が資力なく頼りにならない旨忠告しており、原審証人小林良治(助役)の証言によつても、山崎に特命請負させたことが無理であつたことが認められる(六七丁表)。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書で、山崎は余りよい業者ではないと判つていたが、余り山崎に懇願されたので、診療所工事の特命請負人にすることに決心して、歎願書を村議会に提出するよう話し、自分から村議会に提案して議決して貰つたものであることを認めており(四一四丁裏、四三二丁裏)、特命請負というのは随意契約のことで、それは村長の一存で請負人をきめ村議会の承認を得て契約するもので(四三〇丁表)、請負人の信用と技術を第一に考えねばならないが、山崎に資力がなく信用のないことが既に判つていたのに、役場庁舎の工事で損をしたから、その埋合わせをさせてくれという山崎の懇願に乗つたのが悪かつた旨認めているのである(四四五丁裏乃至四四六丁裏)。そして、前記村会会議録(証五号)中一〇月一九日開催の一八回臨時村会議事録に、杉立木約四三〇石、松立木約五〇〇石を特売、価格石当り二千円で可決された旨の記載がある。

(5)  右特命請負の問題につき被告人佐々木は右請負契約の解約を論議させる協議会を招集しながら、自分はその間出張留守にして山崎を旅館に招き、村議会の空気を教えて工事の促進をはかつた事実

右については、小林良治(助役)の検察官に対する供述調書謄本によれば、一二月八日診療所工事解約の協議会については同月四日頃招集状を出した記憶があり、村長も出席する筈であつたが、急に青森への出張で出席せずに、協議事項を書いて置いて行き、診療所工事を解約するよう協議会を導いて貰いたいと言つており、それは監査委員から役場庁舎や診療所の工事を急ぐように言われていたためであることが認められ(三七六丁裏、三七七丁表裏)、川村周三の検察官に対する供述調書謄本によれば、一二月初め川村が山崎を盛岡の照又旅館に呼び、工事の能率をあげるよう責めたことはあつたが、そこで解約のことまで話した記憶はないことが認められる(三八〇丁表)。

(6)  山崎側工事関係者間に当時贈賄しなければ仕事にならないという空気が満ちていて、山崎は部下に対し川村、村上両有力議員に適当にやつておけと言つていた事実

右については、村上英之、瀬田金三郎の各検察官に対する供述調書謄本によれば、村上英之は山崎に対し、川村は面倒な男で村長は事務屋上りのしつかりした人だといい、山崎をはじめ荒川や瀬田等幹部の間に贈賄しなければ仕事にならないといつた空気が満ちていて、川村、村上両議員に金でも贈らなければならないという話は英之から言出して話合い、山崎は適当にやつておけと言つたことが認められる(三六八丁表乃至三七〇丁裏、三八六丁表)。

(7)  本件各金員授受の日時場所で山崎が被告人佐々木に会つていた事実

右については、村上恭三郎、伊東喜一、佐藤賢祐の各検察事務官に対する供述調書謄本によれば、役場旧庁舎宿直室は応接室に使用し、そこで村長と山崎が話合つたりしたこと、本件八月一六日は山崎が役場に来て村長も午前中は役場に在庁したこと、九月二二日は村長と山崎が工事現場を見廻つたこと、一一月一七日は山崎が役場に来た時村長も役場に在庁していたことが認められる(四三七丁裏、四〇八丁裏乃至四〇九丁表、四〇七丁表)。被告人佐々木も、検察官に対する供述調書で、八月一六日朝山崎に会つていると宿直員がいうのであれば間違いないと思う旨(四三七丁裏)、九月二二日朝役場で山崎から特命請負のお礼を言われたことは覚えているが、二人で現場を見廻つた記憶はない旨(四三八丁表裏)、一一月一七日役場で執務したことは間違いない旨(四三八丁裏、四三九丁表)述べているのである。

以上各証拠に徴すれば、山崎強二の証言の真実性を肯認するに十分である。

(三)  成程、山崎の証言に徴しても、山崎は特売をうけた村有林を伐採しはじめると、社長と村上議員に金も支払わずに伐採しては駄目だと言われ、村長と村上議員等が山崎を信用せずに建築資材の工事金を山崎に渡さずに直接業者へ支払うようになつたので、不平不満を持つようになつたことは認められるが(一三〇丁表裏、一六〇丁表裏)、原審証人小林良治の証言によれば、山崎は診療所工事を村の準直営の形ですることを諒解したのであり(二四二丁裏)、証一九号(樹木売買契約破棄に関する誓約書)によれば、村有林特売契約の解約されたのは、昭和二九年二月一二日となつており、山崎が右の不平不満を外部にもらしたのは同年四月七日役場へどなりこんだ時が最初であるが、この程度も、原審証人村上富雄(当時の収入役)の証言によれば、山崎が酒を飲んで役場に来て、「立木の契約を履行しないで解約されたが、俺は騙された、その時の書類を見せてくれ」収入役はいつも金をくれない」などと言つたが、村長のことについては、「俺はいくら酔払つてきても、村長の顔をみると頭が上らない、ただ契約書を見せろ、俺に見せないで判を押したのだ」「俺がやつた工事だから叩き毀してしもうと思うが、村長の顔を見ると、思つて来たこともできない感じになる」と言つたものであることが認められる(三〇〇丁表、三〇一丁裏、三〇二丁表)。被告人佐々木は村長として相当の勢力を持つていて村議会に引きずられるような人物でなく(六七丁表、三六九丁表)、そのことは村上英之からも聞知つていた山崎であり、前叙説明の如く被告人佐々木の方から二、三の有力議員の諒解を得て出来高証明なしに山崎に工事下金の前払いをやつていたのであり、被告人佐々木の方から村議会にはたらきかけて山崎を診療所工事の特命請負人にしてやつたのであり、特命請負解約の問題も被告人佐々木が山崎に事情を伝えて村議会の諒解を得るようにさせたもので、村有林の特売も同様被告人佐々木の助力によるものであつて、山崎としては大いに被告人佐々木の厚意に感謝すべき立場にあつたのであるから、診療所工事を遅延させた等のために村の準直営の形になり、特売をうけた村有林を菊地新次郎に対する負債のため菊地に伐らせたこと等から解約になつて、不平不満を持つようになつたとしても、これがために当時山崎が自己が罪になるばかりでなく、村長の被告人佐々木を無実の罪に陥れねばならないほどの強い反感ないし恨みを抱く事情にあつたものとは到底認め得られないのであつて、昭和二九年三月二五日頃酒を飲んだ山崎が佐々木巡査部長の同席するところで、菊地新次郎から借金債務不履行を責められてその言訳の際本件贈賄の事実を、他の川村議員等に対する贈賄の事実とともに、はじめてもらしたことをもつて、村長の被告人佐々木に対する反感の余り借金債務不履行の申訳の必要下に強いて無根の事実を言出したものとは認め得られない。

(四)  原判決は、被告人佐々木が性几帳面で、工事監督に極めて厳格であつたというけれども、被告人佐々木は県の農業団体の会計課長をやつたもので(三〇二丁表)、そういう意味では金銭に几帳面で、個人的出納簿に金銭の出納をこと細かに記帳していることは事実であるが(証三号)、前叙の如く出来高証明なしに工事下金を早期かつ多額に支払つたり、信用のない山崎を診療所工事の特命請負人にしたりし、又、村の準直営の形にしてから予算外の支出をして昭和二九年一二月被告人佐々木の退職金中から二九万円を弁償しているのであつて(四四四丁表、二八〇丁裏、二八一丁表)、被告人佐々木の工事監督が厳格であつたとはいえない。

弁護人は被告人佐々木が金銭出納簿に公私の別を立て私事をも一々記帳しているのに本件賄賂を収受したと認むべき記載が全然ない旨、被告人は清廉で給料も辞退したほどである旨主張するけれども、通常の場合自己の収賄した事実を出納簿に記載するということは到底考えられないところであり、給料を辞退したというのは、村長が組合長を兼ねていて組合長は片手間の仕事だからと言つて組合長の給料を辞退したのである(二七二丁表、二七七丁裏)。弁護人は山崎は人夫賃も払えず他から借金していたもので、本件賄賂の金などある筈がない旨主張するけれども、当時山崎は松尾鉱業所の工事を請負つていて、その工事代金が手に入つていたものであることが認められる(一三三丁裏、一三五丁表)。なお、弁護人所論の村有林特売の話は昭和二八年九月二二日頃には既に出ていたものであり(四一六丁裏)、弁護人所論の山崎が村有林特売をうけたことに対する謝礼として贈賄したという一一月一七日頃は右村有林を菊地新次郎に売却していて山崎に利害関係がないから、これに関し贈賄するということは信じ難いとの主張の理由のないことはその主張の内容自体から説明するまでもなく、又弁護人所論の山崎が反村長派と結びついて村長を陥れるため虚偽の供述をしたものとは認められないし、弁護人所論の宿直室も倉庫裏も見通しがきくから、かかる人目のつくところで賄賂の授受はなし得ないとの点は、山崎は人目のつかないところでやつたというのであつて、原審及び当審の検証の結果に徴しそのようにすることが不可能とは認められない。

以上説明の次第で、原判決が山崎の証言を一切信用に価しないとして、本件公訴事実につき犯罪の証明がないものとして無罪の言渡をしたのは、証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものというべく、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条三七九条三八一条により被告人山崎同佐々木に関する各原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に次のとおり判決することとする。

(罪となるべき事実及び証拠の標目)

一、被告人山崎に関する当裁判所の認定した事実は、同被告人に関する原判示事実の末尾の「たものである。」を削除し

「第四、同村々長として、同村において施行した同村役場庁舎の新築、同村矢作小学校小黒山分教場校舎増築、同村二又及び下矢作両診療所の新築等の工事に関し、工事請負人の銓衡指定、請負契約の締結、工事の監督、出来高証明の承認、工事代金支出の決裁及び工事に使用する村有林の特売等右各工事施行に関する事務全般を管掌していた佐々木弥助に対し

(一) 昭和二八年八月一六日頃同村字二又三八番地同村役場構内にある旧庁舎階下宿直室において、右役場新庁舎建築工事請負代金内金をお盆につき速に且つ多額に支払われたい旨の依頼をし、その報酬の趣旨で、現金二万円を供与し、

(二) 同年九月二二日頃同役場構内石造倉庫裏において、前記両診療所建築に関し自己を特命請負人に指定して工事を請負わしめたことに対する謝礼、及び診療所建築資材用として同村村有林を自己に特売することにつき便宜な取扱を受けたい旨の依頼をしその報酬を含めた趣旨で、現金二万五千円を供与し

(三) 同年一一月一七日頃前記宿直室において、前記村有林の特売を決定したこと及び前記各工事につき前記の如き便宜な取扱をうけたことに対する謝礼の趣旨で、現金三万円を供与し

もつて、それぞれ同人の職務に関し贈賄し

たものである。

を附加するほか、すべて原判決摘示の事実と同じであり、これに対する証拠は

「第四につき(その証拠説明については、前段被告人山崎に関する控訴趣意に対する判断における補強証拠についての説明参照)

1 被告人山崎の検察官に対する昭和三〇年一月二六日附、二月三日附、二月六日附、二月九日附、二月一七日附、六月一八日附各供述調書

2 佐々木弥助の検察官に対する同年二月一日附、二月一〇日附、二月一二日附、二月四日附各供述調書謄本

3 村上英之の検察官に対する同年二月二日附供述調書

4 小林良治の検察官に対する同年二月一九日附供述調書、検察事務官に対する同年二月三日附供述調書

5 請求受領証綴(証九号)

6 出羽善徳より佐々木弥助宛封書(証六号)

7 村会会議録(証八号)

8 藤倉久兵衛の検察官に対する同年二月一九日附供述調書、検察事務官に対する同年二月二日附供述調書

9 高橋勇喜の検察事務官に対する同年二月一日附供述調書

10 村上行男の検察官に対する同年二月一一日附供述調書

11 川村周三の検察官に対する同年二月一一日附供述調書

12 瀬田金三郎の検察官に対する同年三月一日附供述調書

13 松尾鉱業株式会社松尾鉱業所所長報告書

14 高橋春夫の司法巡査に対する供述調書

15 山崎コトの検察官に対する同年一月二七日附供述調書

16 村上恭三郎、伊東喜一、佐藤賢祐の各検察事務官に対する供述調書

を附加するほか、すべて原判決摘録の証拠と同じであるから、いずれもこれを引用する。

二、被告人佐々木に関する当裁判所の認定した事実は次のとおりである。

「被告人佐々木は昭和二二年頃から同二九年一二月三一日まで岩手県気仙郡矢作村村長として、同村において施行した同村役場庁舎の新築、同村矢作小学校小黒山分教場校舎の増築、同村二又及び下矢作両診療所の新築等の工事に関し、工事請負人の詮衡指定請負契約の締結、工事の監督、出来高証明の承認、工事代金支出の決裁及び工事に使用する村有林の特売等右各工事施行に関する事務全般を管掌していたものであるが、右各工事を請負つた土木建築請負業三和建設工業所所長山崎強二から

(一) 昭和二八年八月一六日頃同村字二又三八番地同村役場構内にある旧庁舎階下宿直室において、右役場新庁舎建築工事請負代金内金をお盆につき速に且つ多額に支払われたい旨依頼され、その報酬の趣旨の下に供与されるものであることを諒知の上、現金二万円の供与をうけ

(二) 同年九月二二日頃同村役場構内石造倉庫裏において、前記両診療所建築に関し右山崎を特命請負人に指定しその工事を請負わせたことに対する謝礼、及び同診療所建築資材用として村有林を同人に特売することにつき便宜な取扱をされたい旨依頼され、その報酬を含めた趣旨の下に供与されるものであることを諒知の上、現金二万五千円の供与をうけ

(三) 同年一一月一七日頃前記宿直室において、右山崎に村有林の特売を決定したこと及び前記各工事につき前記の如き便宜な取扱をしたことに対する謝礼の趣旨の下に供与されるものであることを諒知の上、現金三万円の供与をうけ

もつて、その職務に関し収賄したものである。」

右に対する証拠は次のとおりである。

「1 原審第二回、第三回公判調書中証人山崎強二の各供述記載

2 被告人佐々木の検察官に対する昭和三〇年二月一日附、二月四日附、二月一四日附各供調書

3 原審第二回公判調書中証人佐々木憲司の供述記載、証人菊地新次郎に対する原審尋問調書

4 証人小林良治に対する各原審尋問調書、小林良治の検察事務官に対する同年二月三日附供述調書謄本

5 請求受領書綴(証六号)、出羽善徳より佐々木弥助宛書翰(証一号)

6 川村周三(同年二月一一日附)、村上英之(同年二月二日附)、瀬田金三郎の各検察官に対する供述調書謄本

7 村上恭三郎、伊東喜一、佐藤賢祐の各検察事務官に対する供述調書謄本」

(法令の適用)

被告人山崎の判示所為は各刑法一九八条(第二、第三には同法六〇条をも適用)罰金等臨時措置法三条二条に該当するので、所定刑中各懲役刑を選択し、被告人佐々木の判示所為は各刑法一九七条一項前段に該当し、いずれも以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文一〇条により犯情の最も重いと認める被告人山崎については第一の罪、被告人佐々木については(三)の罪の刑に併合罪の加重を施した刑期範囲内で、被告人両名を各懲役一〇月に処し、被告人両名に対し諸般の情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から三年間、いずれも右刑の執行を猶予することとし、被告人佐々木が収受した各賄賂は全部没収することができないので、同法一九七条ノ四後段に従いその価額金七五、〇〇〇円を同被告人から追徴すべく、なお被告人両名に対する原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 門田実 裁判官 細野幸雄 裁判官 山田瑞夫)

検察官佐藤鶴松の控訴趣意(被告人山崎強二関係)

一、原審判決は次の事実を認定して被告人に対して有罪の言渡をしている。即ち

被告人は土木建築請負業三和建設工業所長で、当時気仙郡矢作村において同村施行の同村役場庁舎の新築及び旧庁舎移転改築工事並びに同村小黒山分教場増築、同村二又、下矢作両診療所の新築工事を請負つたものであるが、

第一、同村村会議員にして右施行等について工事請負者の決定に関する審議並びに発議等の権限を有し、昭和二十八年一月頃から同村において施行することに決定した同村役場庁舎の新築並びに旧庁舎の移転改築工事及び同村小黒山分教場の増築工事につき、建築委員に選任され、同工事の監督、竣工検査等を行い、又同年九月十九日からは同村下矢作診療所新築工事の建築委員長に選任され同工事の監督並びに出来高証明の証認者等として職務を管掌していた川村周三に対し、同年九月十日頃同村字諏訪九番地の一の右川村方において、右二又診療所及び下矢作診療所を建設する場合にはその工事を請負わしめて貰うよう特別な尽力方の依頼をし、その謝礼として農耕機一台分の十二万五千円を贈与する約束をし、その趣旨で右川村方において同月下旬頃金一万円、同年十月中旬頃金一万円、同月下旬頃金六千円、同年十一月頃金四千円、同二十九年一月上旬頃同村字下矢作丸喜商店二階で金一万八千円、合計金四万八千円を交付し以てその職務に関し賄賂を供与し

第二、被告人の工事代理人として前記工事を事実上行つていた荒川久次郎と共謀の上、同村村会議員にして同村施行の右工事等について工事請負者の決定に関する審議並びに発議等の権限を有し、昭和二十八年一月頃からは同村において施行することに決定した同村役場庁舎の新築並びに旧庁舎の移転改築工事及び同村小黒山分教場の増築工事につき、建築副委員長に選任され、同工事の監督竣工検査並びに出来高証明の承認者等としての職務を管掌していた村上行男に対し、同年九月二十三日頃同村字二又四十番地の一の右村上方において、右工事監督上便宜な取計いをされたい趣旨で同人の職務に関し金一万円の賄賂を供与し

第三、右荒川久次郎、菊池新次郎と共謀の上、同村山林係書記として同村村有林の払下に関し実地調査、その他村有林払下に関する一切の事務を掌理していた熊谷幸治に対し、同年十月十三日頃同村字二又二番地の同人宅において、右村有林払下実地調査に関し便宜な取計いを受けたい趣旨で荒川久次郎を通じ右熊谷の職務に関し金一万円の賄賂を供し

たものである。

として被告人が村会議員川村周三、同村上行男及び村役場書記熊谷幸治に対し各贈賄した公訴事実を認めたのであるが、それにも拘らず追起訴にかかる村長佐々木弥助に対する贈賄の事実、即ち

(一)、昭和二十八年八月十六日頃、同村字二又三十八番地同村役場構内にある旧庁舎階下宿直室において、村長佐々木弥助に対し、右役場新庁舎建築工事請負代金の残金を、お盆につき速に且つ成可く多額に支払せられたき旨の依頼をなして、その報酬として現金二万円を供与し、

(二)、同年九月二十二日頃、同役場構内石造倉庫裏において、同人に対し前記両診療所建築に関し、自己(被告人)を特命請負人に指定しその工事請負をなさしめたことに対する謝礼並びに診療所建築資材用として同村村有林を自己に特売することにつき便宜な取扱を受けることに対する報酬を含めた趣旨にて、現金二万五千円を供与し

(三)、同年十一月十七日頃、前記宿直室において同人に対し、前記村有林の特売決定したこと並びに前記各工事につき前記の如き便宜な取扱を受けたことに対する謝礼として、現金三万円を供与し

以つてそれぞれ同人の職務に関し贈賄をした

との公訴事実について判決理由は「主文第四項掲記の事実については被告人の頭初から自白するところであるが、受供与者佐々木弥助が極力否認するところであり補強証拠としては山崎コト、菊池新次郎、佐々木憲司の検査官に対する各供述調書の供述記載並びに佐藤恒夫の検察官との電話問答書、土岐泰寛の検察事務官に対する供述記載かがある。しかし右補強証拠の内山崎コトを除くその余の供述はすべて被告人の発言、特に菊池新次郎に対する債務不履行の言い訳の必要下になされた発言を中心基礎としたものであつて、右自白補強の証拠としてはその証明力全きものとは認められず、山崎コトの供述を加うるも到底補強証拠を具備した自白とは認められない、他に証拠全般を通じ補強の実を充す証拠はなく、結局本件は刑事訴訟法第三一九条第二項に該り有罪を確認するに足りる証拠がなく犯罪の証明がないことに帰する、よつて刑事訴訟法第三三六条後段に則り無罪とする」として菊池新次郎、佐々木憲司の検察官に対する各供述調書の供述記載、佐藤恒夫の検察官との電話問答書、土岐泰寛の検察事務官に対する供述記載は、被告人の自白補強の証拠としてはその証明力全きものとは認められずとし尚他に証拠全般を通し補強の実を充たす証拠はないとしているが一件記録を精査するにこれ等の供述記載等の外に尚次に開陳する証拠があり、その証拠説明と綜合考かくすれば、有罪を確認するに足る証拠がないとすることは不当であると信ずる。いわば原審は尚他に有罪と認定し得べき証拠があるのに拘らずこれを無気に排斥し証拠なしと判断したことは著しく採証上の経験法則及び論理上の法則に悖り、徒らにこれに適合しない証拠の価値判断をなしその誤りはひいては事実の誤認をきたしこの誤認は判決に影響を及ぼすことが明であるということができるものと思料する。

二、以下無罪を言渡した部分について論ずるが、被告人が佐々木村長に対して、前後三回に亘つて合計七万五千円の現金を贈賄した事実を認定すべき証拠は、被告人の自白だけではなく、その自白した事実の真実性を保障するに足る積極的な補強証拠が十分存在し、且つ自白の真実性に対して疑をさしはさむような合理的な証拠は何等存在しないのである。順を追つて補強証拠の存在することについて、(一)に金銭授受の事実(いわゆる罪体)について、(二)に贈賄の動機乃至授受された金銭の趣旨の点について、それぞれ項目を分けて証拠説明をする。

(一)、金銭授受の事実について

1 授受された金銭の出所 この点について被告人の検察官に対する供述調書には、「その金は松尾鉱山から請負つている仕事の収入のうち人夫賃や資材費を支払つた残りが四万円とか五万円とか入つた中から出したのですが、それは帳簿等につけず一旦妻コトに渡した上矢作へ行くからと云つて貰つていた金です、第一回贈つた時は三万円位持つて行き第二回目も三万円位でしたが、最後の第三回目だけは当時松尾村診療所の第二回目の工事下げ金三十万円のうち人夫賃十万円を支払つた残りを一旦妻に渡しておいたのをその中から三万七、八千円を持つて矢作に行き村長に三万円贈つたのです」(四三五丁)「村長に二回目二万五千円贈つたのは九月二十二日頃でした、それは三日程前に村直営の診療所工事の特命が村会で議決され、そのことを電話で荒川から聞き、私が松尾に居てその契約書もできるだろうし、矢作に出掛けなければならないと考えて、その頃松尾鉱山から四、五十万円の金が下つていたので幾らか村長にもお礼してやろうと云う考えで、その金の内から三万円位を妻に出して貰い、それを持つて同月二十一日頃矢作に来たのです」(四四七丁)「その(三回目贈つた)三万円は私が松尾村診療所の工事下げ金三十万円を貰つた直後、同月十五日に人夫達に賃金を支払い、それが済んでから残つた金のうち三万七、八千円をもつて、即ち三万円は別にして用意して矢作村に直行したのです」(四四八丁)との各記載があるのに対して、これを裏付ける証拠としては、被告人の妻である山崎コトの検察官に対する供述調書中「矢作に行くときは私から金を貰つて行くのですが、少いときで一万円位から、多いときは三万円位から五万円位も持つて行つた事があります。同年八月半ば頃お盆の前頃も矢作の現場に行きました、その時三万円位持つて行き、一週間位滞在して来た様に記憶しています、又同年九月半ば頃も矢作に行き半月位も滞在して来たことがありました、」(三二〇丁)「又同年十月頃松尾診療所の第二回目の工事下げ金三十万円が下り、その中人夫賃等に十万円位支払い、残りはそのまま家におきました、私宅では殆んど貯金などしたことはないのです、そして十一月半ば頃主人がその金の中から矢作に行く費用として三万円か四万円を持つて行つたことが確かにありました」(三二一丁)との供述記載の他、松尾村役場収入役高橋春夫の司法巡査に対する供述調書中、松尾村立診療所の工事費支払状況についての「第二回目は一金三十万円、これは診療所増築工事内金として昭和二十八年十月三十日に三和建設山崎豊に支払致しました」(三一六丁)との供述記載、及び松尾鉱業株式会社松尾鉱業所長の報告書中

昭和二八年七月中 四五〇、六〇〇円

同年八月一五日  三八〇、〇〇〇円

同年八月二二日  一四二、五〇〇円

同年九月一四日  四一二、〇〇〇円

同年一〇月二八日  八一、一七五円

の通り各工事請負金が被告人に支払われている旨(三一三丁)の記載があるのを挙げることができる。従つて、本件授受された合計七万五千円の出所については、被告人の自白に添う合理的な状況証拠が揃つているものというべきである。

2 授受された金銭の処分状況 収賄者側である佐々木弥助村長の供述調書によると「私宅では昭和二十八年十一月から翌二十九年五月頃にかけ、屋根替えや台所改善等の普請を致しました……(屋根替えの)費用は六十万円位かかりましたがそれは長男嘉一が乳牛を売る等して準備していた金を土台にしました……普請(台所)の方は二十八年十月頃から準備して翌十一月頃から仕事にとりかかりました……その費用は大体八万円位かかり、それは私の当時一万八千円の月給を主として充当したのです」(五二三~五二四丁)「台所改善は佐々木繁松大工にやらせました、その時は材料を私の方で買いましたが、舎(やまきち)こと菅野健吉製材所からちびりちびり買いました」(五四七丁)との各記載があり、又同村長の長男佐々木嘉一の供述調書にも「一昨年(二十八年)十月末から十一月初めにかけて私宅の屋根替えをしました、近所の佐々木保太と云う大工に五十三万円で請負わせたのです」(三九三丁)「尚、私宅では屋根替えが終つてから引続いて天井張りをし、翌年になつてからと思いますが台所の改築をしました、その時は材料は私方で持ちガラス等も二、三十枚入れました、そのガラスは父が高田から買つて来たものです」(三九四~三九五丁)との記載があり、更に大工佐々木保太の供述調書には、嘉一から受取つた金の支払先について「先ずスレート代として九月十万円、十一月に四万五千円を夫々矢作の湯積畠村上安治に、杉松の材料代として十月頃二十四、五万円を高田の川村製材所に、同じ材料代として十一月頃山吉製材所に一万円足らずを夫々私が払いました」(三九九丁)との記載があり、又必ずしも佐々木村長が自宅改造及び屋根替えの費用負担について、息子嘉一との間に判然と負担部分を決めていたものではないことが、菅野哲雄の司法巡査に対する供述調書の記載(四〇四~四〇七丁)によつて伺えるのである。尤も屋根替え費用の出所については、佐々木嘉一の供述調書に、定期預金の解約払戻金三四八、六〇〇円普通預金の払戻金一七、五三九円、農協から借金一二、〇〇〇円等の外手持現金五〇、〇〇〇円等総計五四六、八〇〇円であつた旨(三八一~三八五丁)の記載があるが、この屋根替えや台所改造の工事のために又はそれに附随して、当時相当な出費が嵩んだであろうことは容易に推察できるのであつて、被告人山崎から贈られた合計七五、〇〇〇円の金員が右の工事又はそれに関連した費用に使われていたことは充分に推測し得るところである。

3 金銭授受の各日時頃被告人が佐々木村長と会つていた事実 被告人の検察官に対する供述調書には、佐々木村長に贈賄した日時、場所及び回数について公訴事実のそれと全く符合する記載がある、そして三回とも直接面接の上金員を手渡すか或はポケツトに入れてやつた旨の記載(四二七丁、四三二丁、四三四丁等)がある。これに対する補強証拠としては

(1) 、第一回目の役場宿直室で二万円贈つた昭和二十八年八月十六日について 伊藤喜一の検察事務官に対する供述調書には「当日は役場建築の上棟式のあつた次の日で、請負人山崎豊始め大工人夫等が多数役場の現場に来て居つた」(三四四丁)「佐々木村長は午前中役場に来て工事現場を見廻る等してから、矢作村二又役場前正午発車の高田行きのバスに乗つて、高田町へ行き、前述の優勝旗授与式に臨席してます」(三四五丁)との記載があり、証拠物について見ても″宿直日誌″(押第十一号)の同日欄には佐々木村長が高田へ出張した旨の記載があり、″岩手県手帳″(同第七号)には当日村長が高田松原に行き、野球試合の優勝旗交付に臨んだ旨の記載がある。然してこの点に関する佐々木村長の検察官に対する供述状況を見ると、最初は「その日多分私は朝七時十分頃家を出てバスで行つたかと思います、それだと高田に午前九時半頃つきます、帰宅したのは高田発午後四時のバスで来たと思います」(五五二丁)と云う極めてあいまいな供述をしていたのが、後に「八月十六日のことについて、その日は朝から高田松原の野球を見に行つたと前に述べた事は記憶違いでした、その日は確か朝役場に寄つて正午頃のバスで高田に行つたのです」(五三四丁)と変つて来ており、又具体性に乏しいが、「役場には応接室がなかつたので、部外者が来た場合大抵私の机の処で用を足しますが、その宿直室も使いました……山崎も私達がその部屋でお茶呑み話をしている時に入つて来て、話に加わつたことは一、二回ありました」(五五〇~五五一丁)「何時も朝私が九時頃出勤した時山崎と会うことが多いのです」(五五二丁)との各供述記載もある。以上により、被告人山崎の「その日朝九時半頃……既に移動した旧庁舎に村長を訪ねて行き……私が村長さん一寸と云つて先に立つて宿直室に連れてゆきました」(四二六丁)との自白調書の記載を補強する証拠は充分であると思料する。

(2) 、第二回目の役場構内石造倉庫裏における贈賄事実の同年九月二十二日について 前掲″宿直日誌″の同日欄には「来庁者三和建設山崎豊」との記載がある外、前掲″岩手県手帳″の同日欄にも「山崎氏来村」の記載があり、しかもその記載が佐々木村長自らの手になるものである(五五一丁裏)ことは明らかであるから、その日両名が面接した事実を推測するに難くないのであるが、更に佐々木村長の検察官調書を見ると「それは診療所工事の請負が山崎に決つた直後で、その日山崎とその工場の請負契約書を取交したので特に記載したのではないかと思います……山崎と面談した時間は午前中でした」(五五一~五五二丁)「その日山崎が朝九時半か十時頃荒川と一緒に来て、診療所工事が山崎に特命で請負わせることに村会で議決したことについて、私は御礼を申述べたのは覚えて居ります……その日は確が東北大の加藤先生が来られたので午前中加藤先生と一緒に工事現場を見て廻つたことは覚えて居ます」(五三四~五三五丁)「石造倉庫の裏の方にも工事の監督を厳重にする意味で廻つて歩きました、山崎も私について一緒にその石造倉庫裏の方を歩いた事もありました」(五五一丁)との供述記載があり、更に佐藤賢祐の検察事務官に対する供述調書には「同年九月二十二日(火曜日)には役場に東北大の加藤教授と三和建設の山崎豊とが来てます……当日村長も在庁していたことは知つています……」(三四二丁)「九月二十二日の時山崎と村長とが現場を見廻つていた事は知つていますが、石造庫の方に行つたかどうか迄は分りません」(三四三丁)との記載もある。以上によつて、被告人の「同年九月二十二日頃の朝九時か十時頃役場庁舎の工事現場を私と村長の二人で視察した時……村長をその石造倉庫の裏の人夫も誰れもいないところに誘つていきそこで二万五千円を出して……」(四三一~四三二丁)との自白の補強証拠は充分備つているものと考えられる。

(3) 、第三回目の役場旧庁舎宿直室における贈賄事実の同年十一月十七日について 前掲″宿直日誌″の記載を見ると、佐々木村長は同年十一月七日から同月十日までは盛岡及び東京方面に、同月十六日は千厩に、同月十八日からは宮城県鳴子方面にそれぞれ出張したことになつているが、同月十七日は役場に出勤していたことになつており、″岩手県手帳″にもその旨の記載がある。又佐々木村長の供述記載を見ても「その日(十一月十七日)は朝千厩から矢作駅まで汽車で来てそこからバスで午前八時半頃役場に来たと思います……何時もの通り事務を執つたことに間違いありません」(五三五丁裏)となつていて、被告人の「同年十一月十七日頃……午後四時頃役場旧庁舎に行つて村長と一寸挨拶をし、私が先に立つて第一回の時贈つた宿直室に入つて行きました、村長も後からついて来たのでその部屋で……」(四三三丁裏~四三四丁)との供述記載の真実性を裏付けるに足る補強証拠は具備されているのである。

(二)、贈賄の動機乃至授受された金銭の趣旨について

1 動機 被告人の検察官に対する供述調書には、村上英之から「今迄村の仕事にいろいろ業者が入つたが、ここの村会議員や村長には何か贈らなければ工事の下げ金等も仲々出してくれない為め儲けが尠いと云つていた、彼等は全くボス的存在である」という話を聞いたので、そのような訳ならと思い、英之にそれなら君等の腕で何んとか適当にやつて置いてくれと云つておいた旨の記載(四二三丁裏~四二四丁)並びに「役場の工事を請負う当初から村上英之には川村を牛耳つておけばよい、それには金さえやれば良いのだと話し合いをして適当にやつておいてくれと云つて頼んでおいたのは事実です」(四三九丁裏)「川村周三が容易に賄賂を取つてくれる事は判然りしていましたが村長についてはその点不安でした、然し役場庁舎工事中の昭和二十八年八月初め頃役場の村長の席で話合つた時、村長が私に″川村議員とうまいことがあるのではないか″と云うので私は世話になつているから遊びに行くことはあるが何もないと答えましたが、それは判然り云えば私は川村に賄賂を使つて上手い汁をすつていると云う事を村長が私に聞いた訳です、確にその頃私は英之に頼んで二回位現金を川村に贈つて居り私自身も一回一万円贈つていた時でした、……それを聞いて私は村長は私に注意して呉れたものとは全然考えられず却つて村長も欲しがつているのだなと判断してその後すぐ第一回の二万円を贈つた訳です、その時も贈つては見たものの未だ反応がどうなるか心配でしたからすぐその日の午後行つてみたのです、すると村長の態度が前よりもとてもにこやかでしたから私もこれは大丈夫だと内心喜んだ訳です」(四四〇丁裏以下)との記載があるのに対して、村上英之の検察官に対する供述調書には「……私から直接山崎に話して川村は面倒な男だと云つて紹介した様な覚があります、又当時山崎組の会計をしていた瀬田金三郎さんからも山崎さんに工事下げ金を貰うことなどにつき賄賂を使う必要があると云う様な話は当然あつたろうと思われます、と云うのは最初の下げ金の出る前頃瀬田がその様なことを云つていたのを私は聞いたことがあるからです、とにかく山崎さんを始め工事代理人の荒川さん前述の瀬田さん達幹部の間に贈賄しなければ仕事にならないと云つた空気が満ちている事は確かです」(二九八丁)との供述記載があり、更に荒川久次郎については同人の検察官調書に「昭和二十八年五月頃から山崎さんは土地の者にでも聞いたらしく村会議員の川村周三は村の有力者だと話し、金を贈らなければならないと云つていました、会計の瀬田金三郎や村上英之君それに私の居る処でも時々その様な事を云つていました」(二八五丁)「役場庁舎や診療所の工事中村議会や村役場に対し菓子等を贈つた事が何回もありました、それは契約が出来た時とか下げ金が出たと云う機会に工事金の中から支出して贈つたのです」(二八二丁)「そのように工事の監督者、主催者方面に物を贈つたり御馳走しているのは山崎に″来たら御馳走しておけ″と云われていたので、その都度私や瀬田金三郎、村上英之等で相談してやつたものです」、(二八四丁)との供述記載がある外、瀬田金三郎の検査官調書にも「賄賂を贈ることについては川村、村上両村会議員は村会で相当な勢力をもつており、彼等に反対されたら工事金も出して貰えないから同人等には金でも贈らなければならないと云う話は私の行つた当初から英之が云い出して話し合つていました」(二九四丁)との記載がある。これ等の裏付証拠によつて、被告人の自白にかかる犯行の動機関係の真実性が担保されているものと考える。

2 授受された金銭の趣旨

イ、第一回の二万円について 被告人の自白調書には「その頃は旧のお盆も近いのでどうしても工事の下げ金が欲しいし、工事の出来高の七十%しか出さない規則になつておるのを百%出して貰いたいと考え、それについて便宜を計つて貰うためには、絶対的権限を持つている村長に何かを贈つて頼む外ないと考えていたので……」(四二五裏~四二六丁)「私が″いつもお世話になつておるがお盆でもあるし出来高の百パーセントをみて貰いたい″と頼んだところ村長は″俺も必得ている″と云つてくれたので、それを機会に……」金を渡した旨(四二七丁)並びに「兎に角私は英之から此の村は工事下金等請求しても村長の方で十日も二十日もぶん投げて置きどうしても賄賂を使わなければ駄目だときいていたので悪いこととは知りながらこの様なことをしたのです」(四二八丁)との各供述記載があるのに対して、前掲荒川久次郎の検察官調書には「同年八月十五日頃役場新庁舎の上棟式がありましたが、その直後三回目か四回目の下金が六十万円位下りました、下金については最初全工事期間中最終回を入れて四回払という事でしたが竣工予定が同年九月末になつていたため大体毎月一回下金を貰える計算になつて居ました、ところが山崎さんの手持ち資金が不足して人夫賃等の支払に困り、第一回は六月十五日に下金を貰い二回三回も幾らか早く出して貰つた様に思います、下金の出る度毎その前には山崎さんが盛んに村長さんに御願いして居ました、私も山崎さんの留守中村長さんに頼んだ事があります、兎に角契約通りの四回払と云うのではとても人夫や大工の賃金、材料等の支払に追われて何うしても早くしかも多額に下金を出して貰う必要があつたのです」(二八六丁裏より)と記載されており、又小林良治(当時の村助役)の検察官調書にも「その後も下金を出して呉れと云う要求は山崎の代理人の荒川から盛んに有りました、例えば資材が入つたからとか、人夫賃を払わなくてはならないからと云う事で全くうるさい程来ました、……八月十五日上棟式がありましたが、丁度お盆の前頃でしたから、その頃も下金を請求されました、お盆だから人夫達に賃金の支払いを責められて困るから何とか出してくれと云う訳でした、その事で山崎自身も私と机を並べて居る村長の処にお願いに来て居たのを知つて居ます、……お盆の下金については二、三回来た様に覚えて居ります」(二六二裏以下)との記載がある。その他川村周三の検察官調書には「昭和二十八年八月初頃私が畑で働いていた時村上英之に呼ばれて和山道路で山崎に会い、お盆で支払いするのに金が要るから出来高証明を認めて下げ金を出すように村長に斡旋して呉れと云う頼みを受け、その時現金三千円を村上英之の手を経て山崎から貰いました」(二四三丁裏)との供述記載があり、被告人等業者側で下金欲しさに執拗な頼み込みを繰り返していたこと、及びその手段としてあの手この手が使われていたことが明らかである。従つてそのような状況下に第一回の贈賂が行われたとの被告人の自白については、何等疑をさしはさむ余地のない程度に補強証拠が備つているものと思料される。ちなみに役場庁舎新築工事の下金支出状況を見てみると、高橋勇喜(当時の役場収入役)の検察事務官に対する供述調書(記録二六六丁以下)及び証拠物″請求受領証綴″(押収番号九)の各記載によつて

〈1〉 二八年六月一五日 六〇〇、〇〇〇円

〈2〉〃 七月一日    〃

〈3〉〃 八月三日    〃

〈4〉〃 八月二一日 一、五〇〇、〇〇〇円

〈5〉〃 八月十九日   三〇〇、〇〇〇円

〈6〉〃 九月一四日    二六、〇〇〇円

〈7〉〃 九月二二日 一、三三二、六八九円

〈8〉〃 一一月二日   二〇八、四二七円

〈9〉〃 一二月二九日  二八二、八八四円

計 五、四〇〇、〇〇〇円

の通りであることが明らかであるが、右九回のうち出来高証明書の添付されているものは〈3〉〈5〉の二回だけである。そのため村議会等から批判されたのも無理ないことであると思われる。即ち村上行男の検査官調書には「今までの役場庁舎工事の様に工事金を出し過ぎては不可ないから、建築委員が責任を持つて下金の状況を監督しろ、と云う議員達の申し合せがあり……」(二四七丁裏)との供述記載がある外、佐々木栄助(当時の村会議員)の検察官調書にも「尚前述の協議会の時、役場庁舎工事では下金がルーズに支払われて過払いの傾向が有つたから、その点厳重にしなければならないと云う事は村当局に申入れたように思います」(二五二丁裏)との供述記載がある。そして過払いの傾向については、工事監督者であつた出羽善徳から佐々木村長宛に忠告の手紙(押収番号六)が七月三日附で出されているが、その内容中に「今後の支払ひについてはよく考へてからやらねばいけないと思つてます、……之からは出来高の八分で絶対支払ふ様いくらせめられても金を出さぬ様致したらよいと思います」との記載がある。この点に関する佐々木村長の供述記載は「再三の懇願で断り切れず……山崎の申入れを入れてやり、その都度下金も出してやりました」(五一七丁)「八月十九日の下金については失張り荒川から御盆で支払いに困るからと頼まれて出しました」(五三二丁裏)と云うことになつている。ロ、第二回目の二万五千円について 被告人の自供調書には「九月の十九日か二十日頃の村議会で私に対し二又下矢作両診療所建築工事を合計六百万円で特命を以つて請負わせる決議がなされました。私は前述の通り役場庁舎の工事中でもあり、同年七月頃には同村小黒山分校の四十万円位の補修改築工事も同村から請負つており、その上診療所工事を請負つたので、それ等の工事の監督や工事下金について色々便宜を受けたい考えと、特に診療所建築等の資材として村有林の払下を受けたいと考えていたので……村長に前々から御願いしていた診療所の請負を特命にして貰つたお礼を申し述べ、その建築資材について村有林を払下げて貰いたい旨お願いしたところ、村長は嘆願書を出してみたらよかろうと云つてくれましたが、その時も村長に現金を贈るため……用意していたので……二万五千円を……」(四三〇丁裏以下)贈つた旨の記載、並びに「それは三日程前に村営の診療所工事の特命が村会で議決され、その事を電話で荒川から聞き、私が松尾にいてその契約書も出来るだろうし、矢作に出掛けなければならないと考え、その頃……三万円位を妻に出して貰いそれを持つて……村長とは歩きながら色々工事の話をし、診療所の工事も決まつてうまく行きましたとお礼を申述べ、村有林払下の方もよろしく御願いしますと云つて……用意していた二万五千円を」(四四七丁)贈つた旨の記載があるのに対しては、先ず証拠物″昭和二十八年度村議会会議録″(押収番号八)の九月十九日に開かれた第十六回村議会臨時会会議録の記載内容として次の如き発言内容のあることが挙げられる、「議長(藤倉久兵衛君)只今三和建設工業所山崎豊より請願が参つて居ります、請願書を書記に朗読いたさせます、(書記朗読する)。十二番(川村周三君)国民健康保険直営診療所建築工事請負特命を以つて三和建設に請負はしめられたいとの請願については役場庁舎建築の縁故があり現に工事を担当している上から特命を以つて請負はしめるのが適当であると存ずるので動議として提出する。八番(吉田鼎君)十二番の動議に賛成いたします。(外賛成多数)。議長(藤倉久兵衛君)只今の十二番の動議は成立いたしました、国民健康保険直営診療所建築工事を三和建設工業所山崎豊に特命にて請負はしめるとの十二番の動議に御異議ありませんか。(万場異議なし)。議長(藤倉久兵衛君)万場御異議ないと認めます。よつて動機のとおり決しました。」又同証拠物中、十月十九日に開催された第十八回臨時会会議録の記載内容に村有林払下について次の如きものである、「議長(藤倉久兵衛君)議案第二号第三号につき質議及び討論を許します。……九番(佐々木栄助君)議案第三号村有樹木の特売については賛成するも但し特売の価格は議案第二号の入札終了後であれば適当の価格の決定が容易であると存ずる故に価格の決定はそれまで待たれるよういたしたい。村長(佐々木弥助君)発言を許可願います。議長(藤倉久兵衛君)村長に発言を許します。村長(佐々木弥助君)議案第三号の特売につきましてはかねての九月十九日の村議会臨時会において診療所建築の特命の際請負人からの要請もあつてこれを議会においても御了解を得たものと存じて居つたのであります、その折請負側からの要請の特売の石数の線は杉五〇〇石、松六〇〇石でその後申請もあるのであります、しかし杉においては調査済の四三〇石とし、松は馬越部落の三公七民地出願の経緯からこの際これを売却することが良策と思はれるが境界を確立する要があり、これを経て約五〇〇石を特売することで足りると思はれます。……議長(藤倉久兵衛君)質議及び討論を打切りこれより採決することに御異議ありませんか。(万場異議なし)。……議長(藤倉久兵衛君)議案第三号を採決いたします。一番(村上行男君)動議を提出いたします、調査済の杉立木四三〇石、松は約五〇〇石を平均価格石当り二、〇〇〇円とし、この価格で三和建設が不要の場合は議案第二号の競争入札で売却することにいたされたい、以上を附帯し原案に賛成する。六番(藤倉新治君)一番の動議に賛成する。(賛成の声多数)。議長(藤倉久兵衛君)賛成多数を得て一番の動議は成立いたしました。……議長(藤倉久兵衛君)満場御異議なしと認めます、よつて議案第三号村有樹木の特売については杉立木約四三〇石、松を約五〇〇石特売、この価格石当り二千円とし、三和建設不要の場合は競争入札に附することを附帯して原案のとおり満場一致可決いたしました。」又佐々木村長の供述調書の記載を見ると「診療所工事も山崎に特命にしましたが、その経緯は山崎の工事代理人荒川が是非その仕事をやらせて呉れ庁舎の工事で現場も揃つているし材料も残つているので利用でき三和建設としても都合の良い仕事だと云うので私は庁舎工事と一緒にやらせようと思つたのです、……私は国庫補助の関係から工事を早く仕上げたいと思つていた処一般競争入札にすると準備から着工も遅れる考えで尚入札にすると予定額も超過するのではないかと考えたので予算の範囲内で三和建設の山崎にやらせ様と決心し荒川に嘆願書を議会に提出する様に話し私は議員の中誰かと話合つて相談の上九月十九日の村会に提案したのです」(五二八丁裏~五二九丁裏)「特命にするには信用と技術が第一に考えられなければならずその点を考えずに材料等が揃つていると云う事から山崎にやらしたのは私の失敗でした、山崎に資金がないことは庁舎工事を初めた許りの六月半ば頃から判つていたのに山崎の役場で損をしたからその埋合せをする為診療所をやらせてくれと云う懇願に乗つてしまつたのが悪かつたのです」(五四二丁)「競争入札の外に随意契約があります、之は特命とも云われ信用と技術の充分な者に対し急を要する場合等入札に附さず村長の一存で請負人を決め村会の承認を得て契約することになつています。」(五二七丁)との各記載がある。そして同村長が被告人山崎に資産乃至信用のないことを知つていたことについては、前掲の出羽善徳名義の手紙の記載内容中「組の内容は悪く、ことに金銭的には資力もないし、頼りにならない様話されましたので……」とあることによつて明らかである。藤倉久兵衛の検察事務官調書にも「役場庁舎の工事について山崎は資本が充分にあると思つていたところ工事に取りかかつて間もなく工事下金を請求する程資本のない者で本来であれば診療所庁舎を引続き山崎に請負させられない事情にあつた……」(二三三丁)との記載があり、山崎に診療所工事を請負わせたことが議会の問題になつたことについて村上行男の検察官調書に「あんな者に診療所を請負せたのは間違いだと騒ぎ出す事件があり、出羽監督の忠告もあつて村会の協議会で今後は下金の支払を厳重にして村が工事の全部に夕ツチしてやらせると云う事になりました」(二四八丁)との記載があることで明らかである。そして議会の批難を浴びた佐々木村長が、議会に対しては自己の出張不在中を見こして協議会を招集して解約の問題を論議させながら、自らは裏に廻つて盛岡市の照亦旅館で被告人を呼出して工事促進を申入れていたのである。この点については証拠物である″岩手県手帳″の十二月四日乃至八日欄の記載と、川村周三の検察官調書中「十二月初頃村長や私が山崎を盛岡の照亦旅館に呼んで工事の能率を上げる様責めたことが有りました……そこで解約のことまで話した様な記憶は有りません」(二四二丁)との供述記載、及び小林良治の検査官調書中の「診療所工事解約の協議会については同月(十二月)四日頃招集状を出した記憶が有ります、村長も協議会に出席する筈でしたが急に青森に出張するから出られないと云うことで、実際その協議会には出席しなかつたのですが、協議事項は書いて置いて行きました、……協議事項については村長は診療所工事の方を解約にするように協議会を導いて貰い度いと云つて居ました、」(二六四丁)との記載、並びに藤倉久兵衛の供述記載(二三八丁~二三九丁)等を綜合して認めることができるのであつて、被告人の「同年十二月六日照亦旅館に呼出され、村長、川村、村上両議員の三人が居るところで、村長から″役場や診療所の工事を早くやつて貰いたい、診療所の方は議員達が解約するとか何とか云つて騒いでいるから、八日が村会だからよく話して来い″と云われました。」(四四二丁)との供述記載の真実性を補強するに充分であると思われる。以上により「只百万円とかの欠損が有るので可愛相だからと云う理由だけで診療所工事を特命で請負わしたのです、その他には特命にする理由はありませんでした」(二四一丁裏、川村周三の供述記載)「山崎に特命にしなければよかつたのですが、山崎は役場工事で二百万も損したと云うし、人情にからまれて特命にしたのです、それ以外には特に理由はありませんでした」(二四八丁裏、村上行男の供述記載)と云うことの裏には、被告人の供述している通り佐々木村長の収賄事実のあることを推認させるに充分であると考えられる。

ハ、第三回目の三万円について 被告人の供述記載には「診療所の木材はたつぷり払下を受けました外総て自分の思う通りに行き、愈々これから診療所の着工の運びにもなりましたので、それについて村長に今迄便宜を図つてくれたお礼をしなければならないし、将来診療所の下金を貰うについても便宜な取扱をして貰いたいと云う気持もあつて」(四三三丁)贈賄した旨、並びに「工事のことや世間話をしてお礼を云つたりした後で、私は村長が診療所の特命請負や村有林特売について村議会の反対派からいろいろ文句を云はれて困つたというような話を始めた機会に」(四三四丁)札束を手渡した旨のことがあり、その裏付証拠は前記イ、ロ、の項で挙げたものが該当するのであつて、この点の補強の実を充す証拠も充分存在するものと思料する。

三、贈収賄罪事件の特殊性は概ね二人間に秘かに行われ自白以外に真正面からこれを立証し得る証拠がないのが普通である、他の強窃盗事犯等と異り容易に立証し得べきものでないことは経験に徴し明なところである。従つて斯種事犯については勢い、金銭の授受当時の情況、趣旨、金員の出所、費消先等について諸種の客観的情況即ち情況証拠を特と審理し判定すべきものであつて、徒らに一方が否認し或は黙秘権を行使しているからの故を以て些細な弁解に眩感せられ、他の証拠を顧みずに判断することは失当である、斯る観点から本件をみるに、被告人は捜査過程から公判終結に至るまで長い間、終始一貫して佐々木村長に対し公訴事実の通り贈賄したことを前記の通り自供しその内容にすこしも喰違いのない供述をしているのである。若し虚偽の自白であるとせば自白を維持しながらも長い間の公判につきその供述自体に喰違いがでてくる筈である。この自白の信憑性を否定する理由はないのである。被告人のこの自白は有罪と認定された川村周三、村上行男、熊谷幸治に対する贈賄の自白の場合と全く同じであつて、これと相通ずるものがあるのである。一人佐々木村長に対してのみ虚偽自白をしなければならない理由は毛頭ないのである。これに反し贈賄を受けた佐々木村長は徹頭徹尾否認しているところであるが、以上開陳した証拠によれば被告人の自白に即応する情況証拠が瀝然と立証されているものと考えるのである。即ち被告人の自白に対する補強の実を充す証拠はいわゆる罪体に関するものも、それ以外の犯意並びに動機等に関するものも凡て存在し且これ等は凡て一般的に首肯し得られるところである。しかるに原判決はこれに対し補強証拠がないと判断したことは専恣に走つた採証法則に反する認定をなしたものといわなければならない、因つてこの点について事実の誤認がありその誤認は判決に影響を及ぼすものありと信ずるのである。従つて有罪部分をも破棄の上無罪の部分について有罪と認定し原審求刑の通り懲役十月の実刑の言渡あらんことを求める次第である。

被告人山崎強二の弁議人南出一雄の答弁

一、本件につき昭和三十年七月一日起訴に係る佐々木弥助に対する昭和二十八年八月十六日頃現金弐万円、同年九月二十二日頃現金弐万五千円、同年十月十七日頃現金参万円を各贈賄した点につき、原審のなした無罪の判決は相当なものであつて敢えて之を破棄する理由はない。

思うに被告人が有罪とされる為にはその自白の外に之を補強する証拠の存在を必要とすること刑事訴訟法第三一九条の要請するところであるが本件について之をみるにいみぢくも、原審も指摘している如く山崎コト、菊地新次郎、佐々木憲司の検察官に対する各供述調書の供述記載並びに佐藤恒夫と検察官との電話問答書、土岐泰寛の検察事務官に対する供述調書の供述記載を以てしては被告人の自白につきその補強の実を具備した証拠と言うことは出来ない。更に金銭授受の事実、金銭の処分状況、贈賄の動機乃至授受された金銭の趣旨につき検察官の控訴趣意に挙げられた各証拠も被告人の自白の補強として単に想像的可能性にとどまるものであつて、これらを加えて綜合思考するも被告人の自白の真実性を担保するに充分であるとは言えない。却つてこの点について受供与者である佐々木弥助は終始、収受の事実を否認し被告人が同人に対し怨みを抱いている事由等を具体的に述べて居りその供述は自然で真実性が認められる、右の如き次第であるから原審が疑わしきは被告人の利益にとする刑事訴訟法の精神に則り、前記部分に無罪の判決をなしたことはまことに妥当なものと言うべく何ら経験則上、論理上の法則に違反するものでなく事実を誤認したものではないと考える。

二、原審が本件につき諸般の情状を考慮し執行猶予の判決を言渡したことは正に相当であり、敢えて之を破棄し実刑の言渡をする理由は毛頭ない。

先づ本件犯行の動機の点についてみるに、被告人は気仙地方において知己とてなく、本件の工事につき其の進展をはからんが為に心ならずも金員を贈つたもので殊更動機悪質とは認められないのである。更に被告人は本件犯行後、前非を改め悔悛の情極めて顕著にして再犯の虞ありとは認められない又本件事犯の検挙によつて被告人は実質的に財産上多大の損失を蒙つたのみならず請負業者としての名誉と資格を失つたもので自己の行為に対する実質的な罰を受けている。しかも被告人には妻と子供五人の家族がありもし実刑を科せられることとなればこれらの妻子は路頭に迷うに至ること明かである。かかる点を綜合勘案すれば被告人に対して実刑を言渡すことは酷に失すると考えるのである。

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